今日の備忘録

http://oboega-01.blog.jp/archives/1072582497.html
やっとこさ、韓国の学術研究でもソメイヨシノ済州島王桜がゲノム解析して別物だって話です。楽韓さんとこや特定アジアさんとこでも既出だけど、みずきさんとこがやっと復活して、韓国人の反応がまとまって読めます。もっともフェアを期していうと、既報んとこは中央日報からだけど、みずきさんとこはハンギョレの記事を翻訳してるようです。しかしコメント欄のソースは中央日報の記事へのコメントの翻訳(daumから、naverはまた違うメディアなんでしたっけ?)。だから翻訳記事で言及されてる済州島王桜の資源化の母木を期待された漢拏山の優良個体が実は、ソメイヨシノだったという指摘への言及はコメントにはない。まあ、元記事覗いてみたけどハンギョレの記事はコメント10個くらいしかなかったから、読み物にならないか。他所の国の右往左往を消費する娯楽コンテンツなんだし。
研究に関していうとソメイヨシノと王桜が別物という既知の事実の確認だけではなく、済州島の桜の植生の研究としての興味深い。王桜がシダレザクラ(エドヒガンの亜種というか一種らしい)とヤマザクラの一代雑種で個体数が200本ほど、そして王桜がシダレなりヤマザクラと交雑した2世代目の個体が確認されていると。一代雑種が王桜の指す範囲らしいけど、どこまで王桜と呼んでいいかという問題も派生しそう。
ここでも言及したやつだけど、王桜の資源化の優良個体がそもそもソメイヨシノだったとはねえ。栄養繁殖、挿し木なり接木の計画見直さんとね、ソメイヨシノ由来の個体は廃棄せんと。
あと、こんな発表が現在、可能な背景を勘ぐってみると、左派政権になって李承晩の神話化に遠慮する必要はなくなったところもあるのでは、と邪推する。ソメイヨシノ済州島の王桜でなければならなかったのは、ワシントンのサクラがソメイヨシノだったからで、その神話の重要人物としてよく登場するのが、李承晩。李承晩は反共だし。
あと、朴正煕が軍政時代に日本の慣行、慣習を国家統合に輸入、活用していたことへの遠慮もする必要なくなったんだろう(前のこれhttps://nfu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=2647参照)。
このあたりは日韓問題の大口さんあたりが書きそう。
ところで、ダイアリー、終わるんだよね。この手の記事これからどこへ書こうかしらねえ。

「娼婦らよ、汝ら戦地へ赴き、兵たちを慰安するを以って隊の衛生を清浄ならしめよ」と女たちは言った、のか?

http://satophone.wpblog.jp/?p=6121
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/handle/11094/23007
http://www.osaka-up.or.jp/books/ISBN978-4-87259-560-4.html
http://repository.tufs.ac.jp/handle/10108/35621

タイトル思いつくのに一日かかって、気がめいって、参考に矯風会調べると気分が悪くなって、そのまま寝かしてしまって、書き出しに取りかかるののも気がめいる話なのだが、まあミソジニーを煽りにかかるような良くないタイトルではある。援用している林葉子先生の論文なり本はそういうミソジニーを諌めるような意図をもって書かれているのであるから尚更ではある。
御題はこの前のさとぽん先生の記事が示唆しうるトピックの輪郭を勘ではあるが、書いて置きたくなったのである。長沢健一氏の「漢口慰安所」という本に警察部長からの感謝状という一節があり、昭和14年、内地から大勢の唱妓を受け取った中国戦線の日本軍の担当部署が後日、内地の警察部長から「当部業務にご協力賜り云々」という感謝状をもらったというエピソードがあること、その受け取った唱妓は廃娼運動で職にあぶれた人たちであったことが示唆しうるものである。
ここでタイトルのミソジニーの話にもどる。昭和14年といえば1939年、林先生の博士論文の要旨で言えば、例えば矯風会は既に女性独自による運動の性格を既に強めていた時期であり、このタイトルを仮とはいえ設問としてありえるのではないかと考えたのだ(だから、もちろん男たちも主語であっていい)。
じゃあ何を示唆してるの?と考えるのかというと、内地での慰安婦の募集、斡旋に国家、ここでは内務省が直接関与していること、(これはよく言葉遊びと言われる、そりゃ、慰安婦になれば一種の公務員になるのだから関与してないはずないのだが)、それは自発性を保証する対等な関係での参加というよりは、取締主管対象への権限の行使をもって行った官庁としての施策ではないか、なんなら俗語「強制連行」と呼んでもいい、とは前に書いた。
問題はその政策に廃娼運動が、なかでも女たち独自の社会運動が、支援、協力していたかということ、戦地での慰安婦という暴力や虐待に晒されやすい業務が廃業後の対策かもしれないこと(さとぽん先生の永井先生の論文の註を見るとそう考えたくなる)、もしそうならそれと知って唱妓たちを廃業に追い込んでいたのか、なのである。
当時それなりに行政と廃娼運動が協力関係にあったことを考慮するなら、少なくとも指導層は知っててやったんじゃないかという念を拭えない。すると娼婦の棄民的な輸出と引き換えに内地の浄化を実績として積み上げるということになるわけだ。そして公娼制の温床たる軍の廃止とともに公娼制に引導を渡し、売春防止法を手に入れるにいたるわけだが(特殊慰安施設協会をその途上の過程と見ることもできる)、ここで注意してほしいのはこのプロセスは度々、売春もしくは売春婦を捨石にしなければならないことである。
と、こういうことを考えてたらこういうものを見つけた。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_23-2/RitsIILCS_23.2LEE%20Na.pdf
いや、よくできている、見えてるな、という論文、とはいえ公娼制の移植されたシステムの駆動で植民地からたいていの慰安婦を供給しえたという理解は巷間伝えられてるパク・ユハみたいな、またはせっかくアン・ローラ・ストーラー引いてるのに宗主国側の「国民」概念に走ってる亀裂にはこの人、意識あるのかね、みたいな詰めの甘さがないでもない、なのだが、これを読んで思うのは、日本が売春防止法を持ちうるのは、慰安所制の後身たる基地村が韓国にあるからである。ようするに安全保障に伴う性の負担を旧植民地にアウトソースしてるからこそ、売春防止法みたいなものが可能なのだ。

林先生の博士論文からこの領野というか分野を取り扱うのに、この先、銘としておきたいものがあったので引用しておく。
「(前略)スコットがいうように「私たちは、二項対立のもつ固定的で永 続的な性格を拒否し、性差の条件を真に歴史化し脱構築する必要があ 」り、ジェンダーのみならず「階級」や「人種」についても、同じことが言える。そして廃娼 運動の言説に向き合う私たちに必要な作業は、この「歴史化」なのである。
廃娼と存娼の対立点は、買売春を国家が制度化しなければならないほどに男性の 性欲は統御困難なものであるか否かという問題であり、もし統御困難であれば、そ れをいかに管理すべきかという問題であり、あるいは、女性には男娼が不要で男性には娼妓が必要だという考えの背後にある二重基準の問題性であった。その対立は 「性を所有したいという欲望、性に到達したい、性を発見し、解放し、言説に表わし、真理として表明したいという欲望」としての「性に対する欲望J (ミシェル・ フーコー) の発現である。そして、公娼制度の前提として想定されている「男」や「女」のイメージは、廃娼派の言説によって絶えず撹乱され、揺らぎ、決して固 定化されることはなかったのである。たしかに(中略)女性の性器としての膣を持たない 者が娼妓として登録されることは原則的には無かったと考えられ、その意味におい て、娼妓が「女」であるということは、イメージの問題であるだけでなく、身体の 問題であった。また、性について語る者たちがいる一方で、語ることを禁止された 人々が存在し、その言説の配分は性的身体と深く関連づけられながら決定されてい た。しかし私たちは、性の歴史としての廃娼運動史をたどることによって、「男」 や「女」をめぐる「知」がいかに短期間のうちに移り変わっていったのかを知るのと同時に、その「知」がいかに当時の人々の生を強く束縛し〈生きられた身体の経験〉へと結びついていったのかということも確認することができるだろう。」

上のリンク、林先生の博士論文「女たち/男たちの廃娼運動 ー日本における性の近代化とジェンダー」より
おしまい。

今日の備忘録

とりあえず隣国のミソジニーとミサンドリ
http://kankokunohannou.org/blog-entry-7390.html
http://honkan.jp/19707/
http://www.otonarisoku.com/archives/49940893.html
ホンカンはイルベだった。ツイフェミなとこの読みたいな、誰か訳してくてないかな。

みずきさんとこの
http://oboega-01.blog.jp/archives/1065765148.html
無明さんの毒舌だけど、「1940年代の太平洋戦争時に見せた日本軍の行動も、せいぜい軍服を着た田舎モノのコスプレ遊びだったという情けないものだった」って言われて、英霊貶められたとこっちが腹たつのも、就業詐欺に遭って不承不承売春せざるを得なかったご婦人に売春婦って当てこすって、あっちから激怒されるのも、お互い様で、大差ないことだからね。
結局、集団愛国コスプレで自らを慰撫せざるをえない東アジアの定め。
あと、無明史観については、過去の記事引張っていくらか評してみるつもり。

今日の備忘録

とりあえず、この前コメントありがとうございますのサトぽん先生、の最近のエントリーから
http://satophone.wpblog.jp/?p=6121
いや、サトぽん先生気付いてるか知らんけど、これじゃ、狭義の国家の関与、いわゆる「強制連行」じゃないですか。これ、みんな探してた、斡旋なり募集の行政の狭義の関与ですよ、内地からだけど。楼なり唱妓は取締主管はたしか警察あたりなんだから、対等でないし、自由意思を保証できないのは否めない。今日びのhuman trafic論で言えば、行為(斡旋、募集)、手段(移送)、目的(奴隷的性的労働)全部日本の行政が直接絡むアウトな事例でしょう、今時のhuman trafic論で言えば契約の合意があっても、暴力なり虐待があったり、それから逃げられなかったらダメだからね。当時の法で法令遵守OKでも道義的問題は発生するだろうと。それが内地からの娼きさんの慰安婦募集にあったのです、ということです。
で、それを廃娼運動が側面支援して共犯するというのがよくわからない。たちの悪い冗談みたいなのだが、今年出た興味のあった林葉子さんの「性を管理する帝国」の目次を見に行くと終章が「帝国の軍隊に取り込まれた公娼制と廃娼運動」とあるのでさもありなん、なのか。
あと、戦地の慰安婦係へ内地の警察から慰安婦向け娼き受け取りに内地から感謝状があったというのは、内地での性産業への当局の取締に公衆衛生だけでない何らかの優先理念の組み替えがあったのではという懸念を抱かざるを得ない。かつ、その変更に、廃娼運動の関与があったこと、またかつ、それが慰安所政策の推移の一つの動因かもしれないこと、気になるのはそんなこと。

いつかブログに参考にしたいurl
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/22970/2/jinbun00006b1800.pdf
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/646/646-03.pdf
そして
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/13274.html
おそらく、終いには?
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/60545/1/15_005_ishikawa.pdf

今日の備忘録

まず桜
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1491824435/-100
https://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1491891439/
https://nfu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=2647
日本の学者が桜の交雑種の学名の付け方を整理、確定したようで、ソメイヨシノ韓国起源説を取り巻く環境が変化したこと、その中での韓国のメディアの反応をヲチするスレの中から。一つ目は議論が学術してる、とりわけなかなか皆が明るくない園芸品種の作出の手法の幅に終盤で議論があるのが味噌。3番目は二つ目のリンクの中から。韓国での桜の意味を考察する論文。

http://www.otonarisoku.com/archives/49946387.html
お隣速報が「韓国の反応」系では、カセンギみたいに蔑日でもなく、一番書き込む層がニュートラルだと、カイカイみたいに男性ホモソーシャルよりかは、思うのだが、そこにしても王桜の認識はこんな感じ。かなり一般まで広がってるのだな。
http://kankokunohannou.org/blog-entry-7311.html
嫌日だけに事情に通じている人はいるという。相手にされないのはデフォ。

http://blog.livedoor.jp/rakukan/archives/5199010.html
ここに来てそもそも王桜って何なん?という疑問が。初出のさいの語義、参照する内容とはいかに?。ケーネや小泉が発見した済州島に自生する雑種群のソメイヨシノに似た個体、もしくはその群生地の桜か、日本から導入された特定のサトザクラソメイヨシノが有力)でそれがサトザクラ全般を指すことになり、それが小泉の仮説をかすがいに、サトザクラの採取地が済州島と付会され、済州島の雑種群をも王桜と呼ぶようになったのか。
それはともかく、今年の記事を見て思うのは、中の人は承知でやってるんだなと。ザパニーズ商品みたいな日本のブランドに与って外需の足しにしたいのかなと。せめて韓国のサトザクラ済州島産の品種に置き換えたいのかなと。今、嘘がばれてしまうとそれすらおぼつかなくなるので、曖昧でやり過ごしていくのかなと、まあ思う。ナショナリズムの毀損を恐れながら嘘を動員してまで、文化的植民地であることを堅持しようとする涙ぐましい努力には正直、疑問は感じる。その点で上にリンクした日本福祉大学の論文の「韓国の学生の意見」の項は興味深い。
とはいえ、この手の反可な耳知識で受け止める事象で隣国をdisするネトウヨたちに対して、その事象の藁人形ぶりを暴露していくのが、良心派サヨクの一つのミッションだったわけだが、その藁人形に隣国の市民が憑依されてしまうことも度々起こるので見かけなくなってしまった。
私のまわりにソメイヨシノが韓国起源だと信じてる韓国人はいないし、そもそも、当論者とて、済州島に王桜が自生していること、ソメイヨシノに自生地がないことという確かなことしか言ってないと反論していた人は、今年のかくあらましをいかな思いで目にしていることだろうか。

追記 ああ、それとなぜ小泉源一が済州島にまでソメイヨシノの元の穂木の自生株なり兄弟株を探しにいきたかったのか、動機を推測しているスレが去年あったので、リンクを貼るか、まとめをつくってみたいと思ってる。

今日の備忘録

いや、前のまだ続き書いてないんだけどさ。エタ風さん凍結されちゃったでしょ。今まで色々tweet引っ張ってきたんだけど、あの人あんな下手打つとは思っていなかったからさ、びっくりして。あの人口悪いけど根拠なり一貫性あって、あるラインは守ってると思ってたからね。でもトイアンナさんと少々悶着あったあと少しおかしかったでしょ。ところあたり構わずマウントしたりして。左翼だ、バカだと踏んでかかったのか、ある海外旅行者のミャンマー入国ルートのエピソードを捏造とはやし立てて、どうやら自爆してたり、安全安心派に配慮してるコンサルがいたら、あんたは優秀なコンサルじゃないとあっちからしたら言われる筋合いのないマウント掛けに行ったり、ITのエンジニアがseとweb系でweb系に多少のうまみがあっても、そんなものいつなくなるかわからん程度のものだとか、無方向に吹っかけられたわけでもないような喧嘩を売ってたのは痛々しい取り乱した感があったもの。
で、トイアンナとの悶着なんだけどさ、みんなあれ、毒親恨むのはそいつの自由だが、それを安全地帯で恣にできるスペックを与えてくれたのはその毒親じゃないかみたいなことをエタ風さんが言って、相手はぺしゃんみたいな話だと思うでしょ、外野から見てるとそんな単純な話じゃなかった。エタ風さんの言ってること自分にも帰ってきそうな話だったからね。それは、結局いやなことがあっても「逃げる先がある」という(トイアンナ氏の)スペック自慢じゃないかとたしなめたとするなら、それはエタ風さんがツイフェミやチンシコ村やネトウヨにマウントしてやってることと同じにならないか。誰かのおかげなり自分の努力での「逃げる先」を確保してるスペックのある連中が、責任転嫁ををたしなめたり、そういわれるのは不服だとかいう高嶺の嵐で、結局双方スペック自慢だもの。で、自分の根元くさすな、自分を下げてるぞってことだって、そうなら散々エタ風さんだって自分がそこで食ってるIT土建の経営層の団塊ジジイくさしてるし、地元の神奈川県の公教育くさしてるぞってことになる、こっちらが非道いのは事実だろうけど、エタ風さんがトイアンナに言ったのは下の非道いならともかくということではないでしょう。なんかね、誰かまかせをどれだけ自制してるかっていうぱんなこったの言う「酸っぱい葡萄」の酸っぱさ争いみたいなもんにしかならないんですよ。それにねエタ風さんなら言いそうな正論で伝統への感謝と参加、近代なら社会へのコミットであるべし再生産なり親をやること、二人ともやってないわけじゃないですか、いやね毒親持つと大人になって家族なんてやってられるかと思うのはそりゃそうなんですけど、エタ風さん思わぬクリティカルヒット放ったらなんか装身具かなんかで跳弾のクリティカルなオウンヒット食らったみたいにうろたえてるみたいなのを見てると、実際におんな殴ったらこたえる人ですよ、持ちませんよ多分あの人悪口に似合わず。何回か女殴ると男だって心死んじゃうんですよ、まあ彼だってそんなとこから逃げてることになるのかなあと。それを非難する筋合いなんて誰にもないんです。だから酸っぱい葡萄が酸っぱさ自慢しても切ないだけだよなあと、思ってたら、荒れてるなあと思う間もなく凍結されてしまいました。
あとひとつ、凍結される前の喧嘩の売りぶり見ててなんか既視感があるなあと思ったんですけど、あれってぶち切れた女がまわりに不愉快まき散らしてるのに似てませんかね、ってふっと思ったんですよ。本人はネオテニーていって背が伸びるのが遅かった、性欲も少ないって言ってる、実はねエタ風さんのマチスモに見えるものの何割かってネオテニー由来のフェミニン成分、絶対的自己不快感の表明、エタ風さん的に言えば不在のマンコの叫びじゃないかって思ったんです。その叫びをね、彼はチンコ持ちだから外部の思想史から体系性、一貫性、整合性を持った論理で表現することができた。他のミソジニーのアルファの人ならなんか女って惚れることもある弱みあるのか、変なフェミさん来てもなかなか丁重でしょう、フランクでない。でもエタ風さん変な御婦人来ても手加減なしだったからね、それが出来るのは多分あの人どこかま〜んだったんだよ、多分。だからミソジニー界隈で女は嫌とか言われるときに何が非難されてるかわからないという女性は、女性がどう見られてるかって時にはエタ風さんからこうむった不愉快参照すればいいと思う。多分男から見た女ってああいうとこあるんだと思う。そう考えると腑に落ちるのがピル付きさんとのやりとりで、子殺しババアと罵るのはちょっと頷けないところがあって、ひっくり返してみたら、スクリーニングOK、高齢者ケアカット、尊厳死安楽死OKとかいう人に子殺しなんて罵られる筋合いないよ、この親殺しがって言われかねない話で、まあ生殖の健康・権利の話はややこしいんだけど、緊急避妊薬を規制するなら公衆衛生の理屈だけでエタ風さんからは充分だし、エタ風さんの理屈なら極論、親が扶養する気がないなら新しい命生まれても仕方のない話で、極論なら子殺しNOとも言えないはずでしょ、スクリーニング肯定なんだし。再生産の公益はあるにしたって、それは多分あの人どこか親の子殺し許せないんだよ、多分マンコの叫び的に(ピル付きさんみたいな立場からしたら、それは「母よ殺すな」に対峙したフェミがエタ風みたいなのだったらよかったのにというifを提起する。同類なのに罵りあってる感あるんだよ、あの二人)。あと生得的なものへの拘りとかも、マンコの叫び感ある。
しかし、そう考えるといくら可愛く見えても、みんな女の子のなかにはあんな癇癪持ちで自分の不愉快なものにはひどく不寛容な生き物が住んでるのか。アイコンの「榛名はだいじょうぶです」にしたって、女性の大丈夫ですは、怖いものなんだって耳知識では聞くし、萌え二次を生身(生理持ち)の女が食い破るようなホラーなアイコンだったのだな。
長い間勉強になりました。ありがとうございました。

おわり。