河西智美さんの写真について

 河西智美さんの「不適切」なグラビアが話題になってて、後ろから子供に手ブラさせてて、児童ポルノだと言われて掲載する週刊誌が発売延期になった写真のことで、何か言おうと思ったのだが、弁護士さんの主張する法益がそれなりに合理的で萎えた。法律には想定している保護する対象もあれば、一方に制限もくらう人もいるわけだから、弁護士さんは法益のほうから主張するのだし、一方的に児ポ法賛成というわけではないのだが、あの写真が素晴らしいので擁護しなければという気にはとてもならないのだ。
 いやこれが「ヨスガノソラ」の穹編を発禁にしようだとか、売っちゃ駄目だとかなら、あのフィルムが観れないことは日本にとっての損害だとか噴きあがってくる何かがあるのだけど、いやあれは別にいいかと思ってしまう(両方とも確かキング関係だけど)。これはよくないと思いつつも萎えてしまう。
 でも正直バッシングは気持ち悪いと思っていたことも事実なので少し書こうと思う。
 乳房は性的なモチーフだけど同時に母性のモチーフでも使われるわけで、裸婦画に子供と裸婦ってよくあるじゃん、いわば参照してる文化史ってあるわけで、出来のいい写真ってわけじゃないけど、これ不適切だって言ったら、波及していって、歴史があろうがなかろうが、あとあと予期してない不都合、思わぬ筆禍とか、あるんじゃないの、軽卒じゃないかしらって思う。
 で少し考えたんだけど、グラビアとして読者の歓心買おうというのと、アイドルとしてどこか聖化しようというのを両立させるのに子供持ってきて相乗して成功したというより、妥協しあってどっちも成功せず、その中途半端さが、この写真受け手をなめてるんじゃないか、と思わせるのが、この写真の居心地の悪さの主因じゃないかと思う、私見だけど。こういうときは触れないのがほんとは正しい。とりあわないのがふさわしい評価なんだと思う。
 が、こうしてあつかってしまうのは児ポだから有害だと合唱してるとおぼしき状況にちょっと待ってと思ってしまったからで、一応工夫してるんだからそのことに対する評価、批評ってのはしようよ、すべきだろう、しないんなら黙るべきじゃないかと思った次第。
 表現という名で特権化するつもりはないけど、コンテンツといってみてそれを食べ物に例えるなら、自分のメニューではないにしても、食べ物なりの対応はするべきじゃないかと、あの人たちは悪食だなあと思うにしても。
 でここから敷衍してというか蛇足ながら付け足すと、なんだか皆で群れになって一致して評価するのがトレンドで、そうなってくると評価の多様さって衰弱しそうだという恐れを抱いたのだった、この騒動に。さっきの例えに即してみると、おいしい、まずい、有害、あとせいぜい有益、そんなとこで、お客はそれ以外のモノサシは持たなくっていいと言ってるようで少し悲しいと思ったのだ。
 もっとも法に触れるだろうという上の観点にもどってみると、こんな擁護めいた感傷もイヤも応もなく、吹っ飛んでしまわざるをえないわけで、萎えてしまうのだ。グウの音もでない。